2015年5月14日
センチメンタル・ジャーニー(たまプラーザ編)
会社設立から2年を過ぎた頃、受注は順調で人も増えて宮崎台のオフィスが手狭になってきました。調子がいいと人間は欲が出てくるもので、もっと積極的に会社を拡大しようと思い始めました。金融機関からの信用もようやくできて融資も受けられそうなので、移転することを決意します。
たまプラーザ
宮崎台からさらに3駅行ったところです。急行が停まるので渋谷からはやはり25分くらいです。駅から徒歩3分、最上階(5階)1フロア68坪を貸し切り、さらに広いルーフバルコニーまで付いていました。広さも家賃もいきなり倍以上になるのでさすがにためらったのですが、立地と物件の魅力が日々妄想のように膨らむばかり。ついにその妄想に負けて、えいやっと契約しました。案の定この決断が後々経営を圧迫します。。
今はなんだかけばけばしい外観になっていますが、うちが入った当初は1階は証券会社、その上は学習塾と落ち着いた雰囲気のビルでした。
たまプラーザは田園都市線でも高級住宅地になります。テレビドラマの「金曜日の妻たちへ」(知っている人は50代以上でしょう)の舞台になったところらしいです。地名も「横浜市青葉区美しが丘」といかにもでしょう。駅前に東急百貨店とイトーヨーカドーがあり、食べ物屋や飲み屋も多く大抵のことは事足ります。宮崎台に比べるとずいぶんと便利で賑やかで嬉しかったものです。
よく通った食べ物屋の一つ、蕎麦屋の「花むら」。社内の会議で出前を取ったこともあります。蕎麦とカレーやカツ丼のセットをよく頼みました。最近改装したそうできれいになってました。
こちらはケーキ屋さん「パティスリー デフェール」。当時有名なパティシエの安食雄二という人がいて評判のお店でした。家族の誕生日やクリスマスには必ずここでケーキを買って帰りました。
たまプラーザに移ってまもなく立て続けに6人ほど人を増やして、ぜんぶで14、5人になりました。10人未満とはマネジメントが違ってきます。また、それまでは前職時代の部下だった社員が多かったのに、ここからは媒体を使ってまったく新規で採用した社員になります。基本的なコミュニケーションから構築しなければなりません。
ここから本格的な会社づくりが始まります。組織図を作り部門を分け、給与テーブルと人事考課の基準を作り考課面接を行い、就業規則、給与規定などの規定類を整備し、などなど... 。人間の成長と同じで、会社も大きくなるとできることが増える反面いろんな約束事も必要になってきます。一方で、オフィスを大きくし人を増やしたことで固定費が大幅に増えて、利益を出すのがかなり難しくなりました。
楽しい思い出もありますが、たまプラーザに移ってからあらゆる面で会社経営のむずかしさと自分の足りない点を思い知らされたことで、ここには宮崎台とはちがってほろ苦さがあります。