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横浜のプライド、三浦大輔

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横浜DeNAベイスターズの三浦大輔投手が昨日最後のマウンドに上りました。レギュラーシーズンの最終戦で勝てばチームは勝率5割、三浦自身は24年連続勝利という日本新記録のかかった登板です。

ヤクルトに先行されますが3回に自身のヒットからチャンスがつながり逆転、6対4と2点差。一気に期待が高まります。4、5回を抑えて勝ち投手の権利を確保し、残りは総力を挙げて逃げ切る。それで三浦は日本新記録を達成し有終の美を飾って歴史に残る引退。

そういう展開を想像していたのですが、現実は過酷でした。直後の4回に連打を浴びてあっさり再逆転されます。ラミレス監督は何とか三浦に勝ちをつけさせようと続投させますが、6回にも3点を取られ自己最悪の10失点となり差が4点。明らかに球に力がなくコースが甘いとことごとく打たれます。もうこれ以上は無理と誰もが思っていたでしょう。ラミレス監督の「最後はマウンドの上で」という配慮で、結局7回に1アウトを取ったところで交代となりました。


20160930-01.jpg レギュラーシーズン終了のセレモニーを見つめる三浦

20160930-02.jpg 引退の挨拶をする三浦

残念ながら日本新記録を達成することはできませんでしたが、ある意味三浦大輔らしい引退試合だったとも言えます。三浦の引退セレモニーでは感極まって泣き出すファンも大勢いました。私もその1人ですが(苦笑)。三浦大輔がなぜこんなにファンに慕われるのか。それはファンは知っているからです。横浜ベイスターズの暗黒時代を三浦大輔が必死に支えてきたことを。

三浦の通算成績は172勝184敗ですが、他の球団にいたら確実に200勝はしていただろうと言われています。それほど打線の援護のない中でましてや狭い横浜スタジアムで必死に投げて積み上げてきた172勝です。1勝の重みがちがいます。

また、有力な選手が次々にベイスターズを見限ってFAで他球団へ移っていきました。谷繁、相川、内川、村田。三浦自身も2008年にFAによる阪神への移籍をかなり悩んだと言っています。横浜に残ることを決めたときの記者会見のコメントの抜粋です。

最終的には、いろいろ考えた結果、三浦大輔はどうしたいのか? ということです。野球を始めたころから、高校でも、プロに入ってからも、強いところを倒して優勝したいというのが一番、強かった。

気持ちの揺れはあったし、(阪神移籍の)可能性も選択肢の1つにあった。

(残ったのは)横浜が好きだからです。

残ることを決めたのはファン感謝デーで多くのファンから「残ってください」「行かないで!」と言われたからだと言っています。横浜に残ることを決めてからの三浦は真の「横浜の三浦」となりベイスターズを引っ張ってくれました。どん底のチームにあって下を向いたり簡単に諦める選手が多い中で、三浦だけはプライドを持ち常にひるまず戦う姿勢を見せ続けました。毎年のように最下位になっても、三浦の姿を見てベイスターズのファンを続けられた人はたくさんいると思います。

今年ベイスターズはやっとAクラスに入りCSに出場することができます。借金をかかえてのAクラスなので威張ることはできませんが、それでも長い間越えることのできなかった壁をやっと越えたのです。CSがどのような結果になるかわかりませんが、その経験は確実にチームを強くするはずです。

二度目の優勝を味わうことはできませんでしたが、CSに出場できるまでになったチームに三浦は安心したのではないでしょうか。ぎりぎり間に合ってよかったです。残された選手は今年少しでも長く野球ができるようCSで力を出し切ってもらいたいものです。それが三浦への最高の餞別でしょう。

今は三浦ロスが大きく、街中にある三浦の写真を見るたびにぐっときます。いったんコーチも辞めてチームを離れるそうですが、いつかまた必ずベイスターズのユニフォームを着てくれることでしょう。待っています。

最後に、ベイスターズのプライドを守り続けてくれてありがとう、三浦大輔。

10月3日(月)までみなとみらい駅で三浦大輔の写真展をやっています。

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永遠番長~三浦大輔写真展~

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